マージャン【麻雀】

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数え方(読み方)・単位

一荘 (チャン)

解説

親が4巡する正式な1ゲームを「一荘 (イーチャン) 」といいます。2巡する場合は「半荘 (はんチャン) 」といいます。麻雀牌 (パイ) は「枚」「個」で数えます。麻雀をするテーブルは「卓 (たく) 」で数えます。例:「3卓囲む」

意味

室内遊戯の一つ。四人の競技者が、象牙(ぞうげ)・骨などの材に字や数など諸種の図柄を刻し、竹の裏をつけた一三六個の直方形の牌(パイ)を用い、一定のルールに従って組合せをつくり、上がりを競い合うもの。

*大道無門〔1926〕〈里見〓〉白緑紅・一「麻雀(マージャン)がしたくってたまらない、なんてのがゐないかなア」
*或阿呆の一生〔1927〕〈芥川龍之介〉二五「麻雀戯(マアチァン)をしてゐるのを眺めてゐた」
*日々の収拾〔1970〕〈坂上弘〉「そのアパートはマージャンの物音や住人の足音などでいやに騒々しかった」

語源

①中国の明の熹宗時代(一七世紀前半)にできた「馬吊牌」から変化してきたもので、はじめは十字、万字(マンズ)、索子(ソーズ)、筒子(トンズ)の四種類四〇枚の紙牌であった。清代、康熙帝のころには牌の枚数を一〇八枚にふやして、水滸伝の梁山泊一〇八人の豪傑の顔を入れたが、賭博が禁止された地方では、人々は牌が見つかってもごまかせるように、梁山泊の豪傑の顔を泥棒たちの顔に書き替えた。
 
②一般の人は泥棒を「馬将(マージャン)」と呼んでいたので、この紙牌を「馬将」と呼ぶようになる。のちに骨の「骨牌」になり、「馬将」の顔はなくなったが、名前だけは残った。また、牌をかきまぜるときの音が鳥のスズメの鳴き声に似ているので「麻雀」と呼ぶようになったが、「馬将」という言い方もなくならず「麻雀」と書いてあっても人々はマージャンといっていた。
 
③日本への伝来については、明治三八年(一九〇五)、中国四川省に英語教師として招かれた名川彦作が、帰国時に持ち帰った牌で同僚たちを集めて教えたというのが定説になっている。その後大正期には、中国への留学生や中国からの帰国者などに愛好者が増え、昭和四年(一九二九)に日本麻雀連盟が結成された(総裁は菊池寛)。昭和初期には第一次ブームが起きて、インテリ層や有閑階級の間に同好会員組織によるクラブが次々と誕生した。戦中・戦後はいったん下火になったものの、昭和四〇〜五〇年代には、より大衆化した形で再び大きなブームが生まれた。

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