せんとう【銭湯/洗湯】

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数え方(読み方)・単位

一軒(いっけん)

意味

①湯銭(ゆせん=入浴料)をとって一般の人を入浴させる浴場。ふろ屋。ゆや。せんとうふろ。せんとうや。せんと。公衆浴場。
 
*康富記‐宝徳二年〔1450〕六月六日「次下辺銭湯可入之由申之有同道〈略〉於四条東洞院用風呂、託美父子参会」
*俳諧・紅梅千句〔1655〕八・菊「町かたに居つかん秋の水奉公〈安静〉 月の夜比ははやる銭湯(センタウ)〈友仙〉」
*書言字考節用集〔1717〕二「銭湯 センタウ」
*洒落本・禁現大福帳〔1755〕三「憂を語るも洗湯(セントウ)へ行道ばかり」
*滑稽本・浮世風呂〔1809〜13〕大意「熟監るに、銭湯(センタウ)ほど捷径の教諭なるはなし」
*洒落本・廓宇久為寿〔1818〕後「西河岸の丁子風呂(てうじぶろ)にいたる。抑(そもそも)此泉湯(セントウ)は、当世流行にして、都(すべ)て会席の風流善尽し、美尽せり」
*随筆・守貞漫稿〔1837〜53〕二二「京坂にて風呂屋と云江戸にて銭湯或は湯屋と云」
*旅日記から〔1920〜21〕〈寺田寅彦〉八「脱衣棚が日本の洗湯のそれと似て居るのも面白かった」
 
②徒党を組んで盗みにはいるが、獲物は山分けせずに各々が盗ったものを自己の所有とすることをいう、中世の盗賊仲間の隠語。

語源

京都では、挙例「康富記」のように室町中期にはすでにあった。江戸では伊勢与市が天正一九年(一五九一)に銭瓶橋(ぜにがめばし)のほとりに開業したのが最初といわれる。上方には湯女(銭湯かかえの私娼)を置くところがあり、江戸にも同様のものができて明暦初年には二〇〇軒余を数えるほどに隆盛したが、明暦三年に禁止され、衰えた。
  
その後、江戸では一般の公衆浴場としての銭湯が栄えた。銭湯が多い背景として、「随筆・皇都午睡‐中・三」には、風が強く砂ぼこりが立つこと、薪の値段が高いこと、火事をおそれることなどがあげられている。なお、江戸では寛政三年(一七九一)に混浴の禁令がだされ、一九世紀には男湯・女湯の別を設けるようになった。

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